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一番カルビ・かるびのブランドクローズに際し、

ゆかりのある方々に想い出を語って頂き、伝説を語り継いでいこうという

【さよなら一番カルビ・かるび】企画。

 

今回は、一番カルビの草創期を経験された

木村公治さんに、「木村さんにとっての一番カルビ」

ありのままに語っていただきました。

 


 

私にとって一番カルビは青春そのものです。

 

20代前半の多感な時期を一番カルビで過ごしました。

飲食業の考え方から、人との関わり方、リーダーシップ、社員とアルバイトの違いまで。

今の考え方の根本をつくったのが一番カルビでの経験です。

入社して初配属の店舗が、新店の一番カルビ町田店でした。

オープン2日前に配属されて、その日に洗い場8時間。

忙しすぎて存在を忘れられていました。(笑)

 

ふてくされて声も出さずにいたら、店長から「声出せ」と怒られて、

頭にきてケンカになりました。

店長と新入社員がケンカしたもんだから、当時の常務が心配して翌日店に来てくれたんです。

 

3カ月後に一番カルビ鈴鹿店に異動するんですが、

そこでの出会いや人からの影響は大きかったです。

その時の店長に「1分間リーダーシップ」という本を渡されて

「君はこの本を読みたまえ、偏っているから」って言われて。

この時リーダーシップについて深く考えるようになりました。

 

3店舗目に配属されたのは一番カルビ曙店です。

思い出深い小松原街道。

店舗の近くを通るといつも吐きそうになりました。

…日本で一番嫌いな街道です…

 

私が入社した頃はカット納品が無く、肉は全て手切りだったんです。

ホルモンは洗って、野菜も原体を切って。

ナムルは煮て絞って合わせて全部一から仕込み。もちろんタレもです。

入社する1年前はキムチも手仕込みしていたようです。

あまりにも大変だったから納品になったと。

先人は偉大です。

 

月3000万の売り上げで、毎日戦争のようでした。

当時、ディナーピーク時にお客さん400名を回すことは奇跡と言われていて、

それをキッチン責任者として2回経験しました。

 

その時に、料理提供が遅いとダメ!また、洗い場は全ての中心なんだと知りました。

でも皆やりたがらないですよね。

動機付けも難しいですが、洗い場の教育をしっかりできないとお店はダメになるんです。

飲食店の作業の原点です。

 

売上が高いので仕込みの量も多く、一日中忙しいけど、自分は1人しかいない。

いかに無駄なく一日の作業を組み立てればいいのか、考え尽くしました。

その結果休憩が取れない、休憩を取っていたら間に合わない、そうなりました。

大量にある作業をどう時間内に終わらせるのか、常に試行錯誤していたので

作業分解やオペレーションの速さはとても鍛えられましたね。

相当な忙しさだったため、もはや怒号が飛び交っていました。

というか、私が罵声を浴びせさせていました。

ザ・飲食店という感じでした。どブラック。

 

私自身、忙しいのが好きだったし、

皆で本気になって1つのことをやるのっていいなと思っていました。

あと、営業ってオペレーションができればリーダーシップが取りやすいじゃないですか。

オペレーションを捌ける自分が好きでした。

この時はオペレーションの強い自分を神だと思ってたほどです。

 

発注書は全部頭の中に入っていました。

夜、発注を終えて店舗を後にした帰り道、発注書の項目を1つずつ反復するんです。

1つでも思い出せなかったら店に戻っていましたね、間違っていないか確かめるために。

絶対ミスしたくないという、私なりのプライドでした。

 

営業中、バックヤードや冷蔵庫に何がいくつあるのか把握しているのは当たり前。

店長やエリアマネージャーの時にはそういうことを常に部下に要求していました。

出来ないと叱責していたので、今の時代ではパワハラですね。反省しています。

 

その後、店長として新店の茂原店に。

オープン前は月商3000万売れるとも言われていたんですが、

BSEが直撃し、蓋を開けてみたらオープン月でも1200万しか売れず

3ヶ月後には800万円に…大赤字でした。

 

利益を出すには人件費を削らざるを得ません。

それでもオープンメンバーは辞めずに

「1時間でもいいから一緒に働きたい」と言ってくれたんです。

 

また、あるヤンキー女子高生の親御さんから

「娘が変わりました!」と泣きながら感謝されたり、

お客さまから「あなたが店長ですか、隅々まで素晴らしいです」と千円札を握らされたり。

厳しい時期だったので、とてもありがたかったです。

 

当時「これで私はお金を貰っているんだ」というプライドを強く持っていました。

冗談抜きで命をかけていました。

自分のお店がショボいなんて絶対に言われたくありませんでしたね。

 

頭をフル回転させて、身体を一日中動かして。

まさにおはようからおやすみまで店にいました。それが当たり前の時代でした。

正しいことをただ言っているだけはダメで、

行動ありきで人は付いてくることも学びました。

売上が高い店舗しか経験がなかったこともあり、

細かなマネジメントはここで経験しました。

お店を管理する上で大切なことは全て一番カルビで学びましたね。

 

<茂原店時代の木村さん>

 

今は求められる働き方が変わりました。

今現場にいる皆さんに、僕らが経験してきたことを

同じように要求することは出来ません。

なので、今の時代に合ったやり方で、

いかに価値のある経験をさせてあげられるかは考え抜きました。

 

幹部候補生のチャレンジ営業やチームビルディング、

NPSやKPIなどの施策は、一番カルビ時代に培った

「働き方・考え方」があったからこそ生み出せたものなのです。

 

時代の変化に合わせて、形を変えながら自分達の経験を活かし

次世代の皆さんと一緒に成長していくことこそ

あの時代を生き抜いた自分達の今できることだと思います。

 

そういった意味で、一番カルビでの経験は自分にとってなくてはならないものですし、

自分の基盤を作ってくれた「青春そのもの」ですね。

 

 


 

木村さんのリアルなお話、痛快でした。

一番カルビでの経験があるからこそ、今の木村さんがあり

その経験が会社全体、そして次世代の私たちに大きな影響を与えていることが分かります。

今の私たちの頑張りや奮闘は、時代を越えて、まだ見ぬ次世代のメンバーへ

確実に繋がっていくのだということを感じました。

 

木村さん、貴重なお話ありがとうございました。

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