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他人の正解を求めていた私が、自分の意思を取り戻すまで

ブランドPR部 上級マネジャー 假屋美央

他人の正解を求めていた私が、自分の意思を取り戻すまで

一人ひとりの「自分物語」を紹介する「みんなの物語」。今回は、ブランドPR部でテレビ取材の対応やプレスリリースの作成などの業務を担当する假屋 美央(かりや みお)さんに登場いただきました。『焼肉きんぐ』や『丸源ラーメン』をはじめとした物語ブランドのPR活動において第一線で活躍をしている假屋さん。お店で店長をしていたころは、意外なことに「何をすべきかわからない」「自分をどう表現したらいいかわからない」と悩んでいた時期もあったとか。いまでは失敗を恐れずに、「自分がどうしたいか」を軸に行動できるようになった假屋さんの紆余曲折の物語に迫ります。

PROFILE
入社日
2013年04月01日
長所
チャレンジ精神があるところ
短所
飽きっぽいところ
すきなこと
漫画を読むこと
おすすめメニュー
丸源ラーメンの「熟成醤油ラーメン 肉そば」
おすすめの食べ方
揚げにんにくとお酢を入れて

誰かに合わせる人生を変えたくて

假屋さんは幹部候補生(1年目の新卒社員)として入社後、お店で約10年勤務されて、ブランドPR部に異動となったんですよね。

假屋美央

そうですね。ブランドPR部に来て3年目になります。当時、本社へ異動と言われたときは、まったく予想してなかったので本当にびっくりしました(笑)でも、新しい仕事に挑戦できると思って、嬉しかったですね。自分の力が試せることにワクワクしました。

自信にあふれていて素敵です・・・!

假屋美央

いえいえ(笑)実は、全然そんなことなかったんです。以前は「自分はこうしたい」という意思があまりなくて、誰かが決めたことに合わせて動くほうが楽だと思って生きていました。高校は親が勧める学校に進学しましたし、大学もみんなが行くから受験すると決めたくらいです。そんな調子だったので、大学に入ってからまわりの友達との違いにびっくりしました。アルバイトでもサークルでも、みんな自分のやりたいことをガンガンやっていたので、その姿を見て「自分らしく生きるのってカッコいいな」と憧れたのを覚えています。

物語コーポレーションは「自分らしく生きること」を理念としていますが、そこに惹かれたのでしょうか?

假屋美央

はい。そういう理念をもつ会社で働けたら、私も自分で意思決定して自分の人生を歩めるかもと思いました。でも、入社するだけですぐに自分のやりたいことが生まれるなんてことはなかったんです。入社して3年目で店長試験に合格しましたが、正直「なんとなく」で店長を目指してしまっていたので、実際に着任してから本当に大変な日々が始まりました。

自分のことがわからなくて限界に・・・

最初に店長になったときはどんな状況だったんでしょうか。

假屋美央

着任した直後は右も左もわからず、エリアマネジャーから「販売促進はこうやって」とか「人件費がオーバーしてるからこう調整して」など、指示されたことをとにかく実行するだけの毎日でした。言われたままやっていたら、売上や利益も予算を達成できたんですが、そこに自分の意思はほとんどなくて、操り人形みたいな状態でしたね。その年に全社表彰で「優秀プレジデント賞」を受賞したんですが、自分の実力で獲った賞じゃないと感じて、正直全然嬉しくなかったです。そうしてやりがいを感じられないまま過ごしていたんですが、次に異動したお店で、とうとう何もできなくなってしまったんです。

いったい何があったんでしょうか。

假屋美央

一言で言うと、自分で意思決定ができない現実を突き付けられたんです。異動先のお店の新しいエリアマネジャーから「假屋さんが思うように好きにやってください!」と言われてしまって、それまで自分で意思決定してお店づくりをしてこなかったので「そんなこと言われても、どうしたらいいの!?」とパニックになりました。以前のお店より規模が大きくなったので、売上や人のマネジメントも難易度が上がり、どうやって「状態の良いお店」をつくればいいのかまったくわからなかったんです。

それまで受けていた指示がなくなってしまったからですね・・・。

假屋美央

あと、ちょうどそのころ、自己開示がまったくできなくなってしまったんです。会社でセクシュアルマイノリティについて学ぶ研修に参加したときに、内容を聞いて「自分もアセクシュアル(他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かないセクシュアリティ)の当事者かもしれない」と思ったんです。でも思い過ごしかもしれない、こんなこと誰に相談すればいいんだろう・・・と、悩めば悩むほど、自分がどういう人間なのかわからなくなってしまって。自分のことを人に話すのが怖くなりました。

それは不安になりますね。

假屋美央

自分をどう表現すればいいのかもわからない、どうしたらお店が良い状態になるのかもわからない、と八方ふさがりの状態でした。パートナー(アルバイト)ともコミュニケーションがとれず、誰にも頼れないまま何も改善できない日々が続いて、とうとう従業員満足度が『焼肉きんぐ』の全店舗の中で下から2番目になってしまったんです。「もう自分には無理だ」と限界を感じて、エリアマネジャーに「辞めたいです」と伝えました。その後、退社は思いとどまったんですが、結局そのお店は異動になったんです。

「どうしたいか」で取り戻した自分自身

新しいお店に着任したときは、どんな気持ちでしたか?

假屋美央

「もう二度とあんなにつらくてしんどい想いはしたくない」と思いました。そこでそれまでの自分を振り返ってみたら、「何でもすべて完璧にこなして結果を出さなきゃダメだ」とこだわりすぎていたことに気付いたんです。そのせいで、失敗を恐れて誰かの言いなりになってしまったり、自分で考えて行動できなかったんだとハッとしました。セクシュアリティを自覚して戸惑ったのも、その影響が大きかったんだと思います。

自分の足枷となっていた価値観に気付いたんですね。

假屋美央

はい。そこから少しずつ「自分はどんなお店をつくりたいのか?」「自分はパートナーにどんなふうに働いてほしいのか?」と、自分の想いや意思を考えるようになりました。そうしたら、だんだんやりたいことが見えてきたんです。行動に移すときも、「全部完璧にやらなきゃ」ではなく「いまはこれがやりたいから、こっちは後回し!」と優先順位をつけて意思決定できる回数が多くなっていきました。

嬉しい変化ですね!そのとき、一番やりたいことはなんだったんですか?

假屋美央

「自分もパートナーも楽しく働けるお店をつくる」ということです。そこで、パートナーに時間を使うことを惜しまず、一人ひとりとの面談はもちろん、ベテランパートナーと一緒に新人トレーニングの計画をつくったり、発注業務など難易度の高い仕事もどんどん教えてチームビルディングを進めていきました。みんながすごく努力してくれていたので、何かねぎらうような施策をしたいなと考えて、月に一度、最も頑張ったパートナーを称える「月間MVP」の表彰を独自で行ったりもしましたね。そうしていたら、お店の売上記録を大幅に更新することができて、全社表彰で「優秀プレジデント賞」を受賞することができたんです。1回目の受賞とは違って、「今度こそ自分の力で成果を出せた!」と心から嬉しく思えました。

「自分がどうしたいか」を通じて、少しずつ自分を取り戻せていったんですね。

假屋美央

はい。それとこのころ、社内のセクシュアルマイノリティの当事者たちと交流するようになったのも大きな変化でした。カミングアウトするのはすごく勇気がいりましたが、オンラインの交流会に参加して話をしていくうちに、だんだんと自分のセクシュアリティについて受け入れられるようになったんです。何も飾らない「假屋美央」としてまわりの人と接することができるようになって、人に弱みを見せられるようになりました。素直に人を頼ったり、相談したりすることができるようになって、部下やパートナーとの距離もぐっと縮まるようになったんです。

自分らしく生きるようになって、まわりとの接し方も変わっていったんですね。

假屋美央

そうですね。だんだんと、自分がつくりたいお店をみんなでつくれている実感が湧いてきました。次に異動した先では新店の店長を任せてもらえて、そろそろ店長の次のキャリアを考えたいと思っていたときに、「ブランドPR部に興味はない?」と声がかかったんです。

失敗を恐れず、人生を歩み続ける

ブランドPR部に異動して、いかがでしたか?

假屋美央

当然、お店の運営とは全然違う業務なので、最初は戸惑うことも多かったです。わからないことだらけでしたが、指示されたことだけをやるのではなく、「これをやりたい」「こうすべきだ」という自分の意思をちゃんともちたくて、自分からどんどん質問をしていきました。少しずつ仕事が理解できるようになって、自分から意見を伝えることも増え、異動して1年くらいで『丸源ラーメン』のカップ麺の商品化企画を任されたりもしました。発売後はSNS上で結構話題になって、たくさんの人たちが喜んでくれたのですごく嬉しかったです。

最後に、假屋さんの「なりたい自分」とは?

假屋美央

どこでも活躍できて、まわりにいい影響を与えられる人です。そのためには、失敗を恐れず「自分はどうしたいか」という意思をしっかりもって、発信し、行動することが大切だと思っています。私はそういうふうにこれからも自分の人生を歩んでいきたいですし、私の姿を誰かが見て「自分も頑張ろう」と思ってもらえたら嬉しいですね。