【気になる発信追ってみた!】FC加盟企業 桜家 津田拓也さん①
Rakumoボードの投稿から、事業の成長性や革新性を感じるものにスポットを当て、
発信の背景や想いを追う企画「気になる発信追ってみた!」。
今回は、FC加盟企業である株式会社桜家のマネジャー津田拓也さんの発信を追ってみました。
津田さんの発信した「夢の話」はコチラ!
「日本一ブランディングを体現するチーム」という夢を、根拠をブレイクダウンしながら熱く語られています。
株式会社桜家 焼肉きんぐ事業マネジャー 津田 拓也さん
2005年から2年間、桜家の精肉事業部でアルバイトとして勤務。
桜家大山社長(当時:専務)の後押しをきっかけに2011年に社員として入社。
外食事業部の設立や『焼肉きんぐ』の立ち上げに積極的に関わり、
店長として『焼肉きんぐ 若松大鳥居店』をオープン。
自身を「ユーチューバー」ならぬ「きんぐーバー」と名乗り、店舗スタッフ向けに動画で熱い想いを伝えている。
▲店長時代の津田さん
「夢の話」を発信した背景
まず、危機感を感じたんです。
今『焼肉きんぐ』が好調じゃないですか。皆が不安を抱いたり、
苦しい思いをしたコロナ禍が明けた瞬間に、すごく明るい未来が見えてきて、売上もめちゃくちゃ上がって。
店舗からは「売れているのが当たり前」という雰囲気を感じる瞬間があって、
その時「めちゃくちゃ危険な状態にいるな」っていうのを感じたんです。
認知度や期待値も上がっている分、急ピッチで教育を進めていかないと、お客さんが離れてしまうと思いました。
▲発信の中でも危機感を吐露されている
また、僕の周りに夢を語る人が少なくなっているなと感じて。
そして僕自身も、夢を語らなくなっていたんです。マネジャーになって、「会社員」になりすぎていたんですよね。
店長の頃は外食事業部の立ち上げに手を上げたり、「絶対自分がやる」という意志のもと行動していました。
その頃と比べると、会社の意見と自分の意見のバランスをとるようになっていった気がします。
でも、僕自身が夢を語らないと、部下に夢を見させてあげられないなと。
なので、改めて夢を語り、部下が胸を張って大活躍できる環境をつくりたいと思い、発信しました。
▲発信の中にあるマネジャーとしての津田さんの想い
発信の中にあったリスキリング。研修を受けたスタッフはどう変わりましたか?
明確に活動的になりましたね。研修中から、社員の率先垂範が増えていきました。
最初は、「これやりたい人!」とみんな周りの様子を伺って、「誰がいく?」という状態。
なので、一番最初に
「研修で何かが変わると思ったら大間違い。自分ができるのは環境作りまでだから、
この研修中、1秒後10秒後に行動を変え続けないと、店に戻っても何もできずに終わる。
経費使ってそんなことがしたいんじゃない。皆の時間奪ってまでやりたいことじゃない。」と伝えました。
それにしっかり応えてくれたという感じです。バンバン手を上げて、みんな積極的になっていきましたね。
また、大分光吉店の吉村副店長から、研修の3日後ぐらいに動画が送られてきたんです。
クロージング後に社員が先頭に立って、皆がホールをラウンドしながらストップアンドアクションをしている動画だったんです。
研修を受けて、自店舗に必要な部分を取り入れ、すぐ実践していました。
▲研修中の小林さん
八女インター店の矢野という社員は、一日一足アルバイトさんの靴磨きを
誰かが気づくまでやりますとか言いながらやってくれていたり。
明確に行動が変わったと思います。
▲研修中の矢野さん
ただ僕が思っているのは、僕のおかげとかじゃなくて、経験値が増えただけだと思うんですよね。
ただその経験と知識があるかないかだけで、みんなできるんですよ。
知識を持って経験を積めば誰もが、輝けるんです。
経験も知識も提供できるのは環境なので、それを作れるのはマネジャーしかいないと思っています。
▲津田さん(後列右から2番目)と研修に参加した社員の皆さん
津田さんの原動力はどこからくるのですか?
生きることへの執着
もともと生きることに執着があったと思います。
中学2年生くらいから学校に行っていなくて、中学生ながら、
今日の晩御飯をどうやって手に入れようか、みたいな感じで。働きに出たりもしていました。
中学を卒業して、とりあえず収入が必要ということで出会ったのが現在の桜家です。
会社への恩義
15歳から3年間働く中で、社員登用の話もありました。
しかし、もっといろんな世界を見たいという思いがあり、18歳で一旦退社して大工や溶接など様々な仕事を経験しました。
そんなある時親方が逃げてしまって一番困っていた時に、
掛け持ちしていたスーパーの店長さんがたまたま部長の佐竹と親しく、
半強制的に面接がセッティングされ(笑)再度アルバイトで働くことになったんです。
また苦しい時期がきて、会社に迷惑かけてしまう状況から、
再度退社の道を選んだ時に佐竹部長が(当時課長)全力で引き止めてくれたんです。
そして、大山社長が(当時専務)いちアルバイトを本社まで呼んでくれて。
口はどうとでも言えるから姿で見せろって、それだけ言われたんです。
その1カ月後の2021年の11月1日、入社させてもらいました。絶対忘れない日です。
なので前提が恩義なんですよね。恩があるんですよ。
恩を仕事で返す以外の選択がないんです。だから、一生懸命肉屋をやっていました。
▲百貨店やスーパーに精肉屋さんを構える桜家さん
会社の未来を背負う覚悟
ただあるとき、肉屋って職人の大先輩の技術者がたくさんいるので多分店長になれないなって思ったんですよね。
そんなときに外食事業を立ち上げる話が来て、すぐ店長に直談判して絶対行きますって言ったんです。
すぐに大山社長が来てくださって、行きたいっていうなら来いっていうところで呼んでもらったんです。
最初は自分が対等に皆と勝負してみたい、外食事業だったら皆がやったことないから対等だっていう気持ちがあったんですけど、
やり始めてみたら、そんなこと言ってる場合じゃないぐらい会社にとって大きな決断だなっていうことも分かってきて。
自分のことだけじゃなく会社の未来を背負っていると感じ、また更にエンジンが点きました。
後半では、店長の頃のエピソードやこれからの野望をお聞きします!